実母との関係について(概要)

実母(実家)との関係

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こんにちは!
皆福 ポチです🐶

本日は、少し暗い話です。
簡潔に言うと、実家(主に実母)に関して、嫁姑問題で常にギスギスしていた家庭環境と母からの姉妹への愛情の格差、無関心、過干渉などについてです。
毒親というものになるのかは分かりません。

元々、自分の実家は普通の家庭だと思っていましたが、夫と出会って夫やご家族との関わりが増え、子供の頃の話などをよく聞くようになる中で自身の家庭環境やその影響についてモヤモヤが増していきました。

まだ自分の中で迷いながら向き合っている最中なんですが、
①子供に同じ思いをさせないために、自身でちゃんと過去に向き合わなくてはならない
②私が救われた言葉や考え方を発信することで、同様の経験をされた方が少しでも楽になったらうれしいな
という、2つの思いでこのカテゴリは書こうと思っています。今回は①についてです。

実母との関係について(概要)について、ちょっと長くなってしまったんですが、よかったら読んでみてください🌸

幼少期の環境

我が家は5人家族で、亡祖母、父、母、姉(7歳上)、私で一軒家に住んでいました。

祖母と母の嫁姑関係は悪く、口げんかが絶えませんでした。
父は二人の板挟みで、父が仕事から帰宅後母はガーっと祖母の不満を伝え、父は黙って聞きつつイライラしてドアを叩きつけるように閉めたり壁に穴を開けたりしているのが日常でした。大人たちの雰囲気が悪くなりそうだと感じたら八つ当たりをされないように足音を立てずに2階の自室に退避するのが常でした。

私は記憶のある幼稚園の頃から、母の祖母に対する悪口をずっと聞いていました。毎度同じような内容なので、自分なりになにか話そうとすると「子供のくせに意見を言う。」と不機嫌になっていました。愚痴を吐き出す場所が欲しかっただけなんでしょうね。
祖母と和やかに話しているように見えても、自室に戻ると祖母を口汚くののしっているのが日常だったので、人を信じることが難しくなりました。


振り返ると、子供の頃からずっと母は私と関わるのが面倒くさそうで、母からきちんと愛情を感じられてうれしかった記憶は数えるほどしかありません。
家の中ではあっちにいってと言われて1人でいるか、祖母とTVを見ていた記憶があります。ただ、祖母となにか話した後は母から「余計な事を話さないで。何も貰わないで。」ときつく言われて怒られるので、祖母にもどう接してよいか分からず愛想の無い子だと思われていたんじゃないかと思います。
あまりにも家で誰にも相手にされないので、幼稚園の頃に自分はこの家の子じゃないんだと一人玄関で泣いていた記憶があります。

姉妹格差について

姉は7歳離れているので、学生の頃には成熟度合いや生活時間が全く異なり、一緒に過ごした記憶はあまりありません。(私が小1の時、姉は中2)
私が社会人になって、ようやく同じ環境となって少しずつ話せるようになりました。
仲は悪くありません。

姉は明るく運動も勉強も得意で母から愛されていました。要領が良い姉は人に甘えるのが上手で、両親ともに姉のわがままには「仕方ないな~。」と言いつつ頼られて嬉しそうでしたが、私がたまに(姉の1/10位)言うわがままには面倒くさそうに対応されたり舌打ちされたりするので、取り下げることも多かったです。
小学校の頃の友達でうちと同じように歳の差の兄弟を持つ子は、色々買い与えられたり家族がその子を中心に回っていて甘やかされている様子が伝わったので、うちは7歳も離れているのに、なんでこんなに私は愛されないんだろうと考えたものでした。

私は小学生の頃は割と明るく、通信簿にもクラスのムードメーカーと書かれていたり、学年イベントの司会もよくやっていました。
中学の頃には姉への愛情の深さと私への無関心を明確に認識し始めて、次第に大人しい子へと変わっていきました。
その頃から「ここは姉の家なんだ。」と肝に銘じて家で過ごすようになり、クリスマスのケーキの希望も、旅行先の希望も出さなくなりました。姉の希望が通って、姉が喜んでいることがこの家の喜びなのだと分かったからです。
でも、そう気づいたことで自分の存在意義が見いだせなくなりました。

母からの言動で印象的な話

母からの言動でダメージを負った物は小さなものを含めたら数えきれないんですが、印象的な物をいくつか紹介します。

中学の頃の三者面談での一言

中学の頃の三者面談で「姉は運動が好きで活発だけど、この子は大人しくて文化系。でも、個性として受け止めています。」と先生に話していて、私の三者面談で姉の話は関係ないし、結局のところ姉しか認めていないと伝わってきて、今までなんとなく感じていた姉妹格差は間違いないんだなと自覚したタイミングでもありました。

三者面談の帰り道で友達7~8人位に声を掛けられていたら、「友達いるんだ。」とぽつりとこぼしていたのも印象的でした。

初任給でプレゼントした10万円の眼鏡を大切に扱わず壊す

私が新卒の初任給で母がずっと欲しがっていた10万円するブランドの眼鏡をプレゼントしました。渡したときはとても喜んでいましたが、出入り口に近い布団の枕元にむき出しで放置していることが度々あり大切にしているようにみえませんでした。
何度かケースにしまうか、棚の上に置くよう注意しましたが案の定2年もたたずに母が踏んで壊してしまい、「ごめんごめん。お父さんに新しいのを買ってもらうわ。」と軽い謝罪をされました。

実家は別に裕福でもないのに、新卒の初任給で子供が買った10万円のものを大切にする気持ちもないのかと悲しくなりました。
私は8年間社会人をしましたが、自身に10万円する物を購入することはありませんでした。
結婚してからは、何か渡す際には全て消え物で、私から手紙や物をプレゼントすることは今後無いと思います。

新婚で新年のあいさつに実家に訪れた際ほぼ姉の話

新婚で夫と2人で新年のあいさつに実家に行き数時間滞在している間の話の割合としては、
98%が姉と子供の話
・1.5%が両親の話
・0.5%が私たち夫婦の話でした。
後日「せっかく仕事の休みで夫が来てくれているんだから、もう少し気を使ってせめて夫には話をふってもらえないか。」と母に伝えたら、「お姉ちゃんの話は共通の話題だからみんなで話せると思った。(←母が一方的に話すのみでした)」と話していて、母にとって姉の話題は最上級に楽しい話なので全員同様に思っているのかなと感じさせる、理解に苦しむ回答でした。

姉と近い時期に子供を出産。私からの連絡には既読スルーor短文

私が姉妹格差にきちんと向き合わないといけないと思ったのは、この件がきっかけでした。姉妹格差によって、将来子供が色々と分かるようになった時嫌な思いをさせてしまうだろう。その時ちゃんと守らなければと、見てみぬふりしていた嫌な記憶にも向き合うようになりました。

姉夫婦は義兄の仕事の関係で、姉が妊娠8か月頃実家に移り住むことになりました。里帰りしなよ!と言われましたが、①コロナ渦であったこと②姉夫婦が引っ越してくること③実家のスペースを考えて現実的ではない提案でした。

その後、姉の第2子と私の第1子が2か月差で生まれると、私が母に赤ちゃんの写真を送っても既読スルーか短文の返信しかないのに、姉が出産後は姉の赤ちゃんの写真とその可愛さを綴った長文のラインが半年程2日おき位の頻度で私に送られてきて、完全に私の気持ちが折れました。

もちろん同居していて近くにいたらことさら赤ちゃんを可愛いく感じるでしょう。その嬉しさを誰かに伝えたい気持ちは分かります。
我が家は夫が1か月育休を取れたので夫婦で産後乗り切りましたが、初めての育児で大変な中同じ市内に住んでいるにも関わらず数える程度しかこちらに顔を出さず、この対応だったのは許せませんでした。

親だから大切にしないと!と強く思っていましたが、相手からの対応次第で自分も相応の対応でいいと思った出来事でした。

その他諸々 

  • 私が何か失敗した時は「どうしたの?」と事情を聞かれることは皆無で、説明しようとすると「言い訳するな。」とさえぎってヒステリックに怒られる。
  • 何か新しいことを始めようとすると、失敗するんじゃないか、ケガするんじゃないかと理由をつけて開始しないように何度も言われる。そこを突破して新しいことを始めてなにかあると「だから言ったじゃない。お母さんが言う通りやめればよかったのに。」とず~っとグチグチ文句を言われて辞めざるを得なくなる。
  • 母の親切やアドバイスは、たとえそれが的外れだったり迷惑でもありがたく聞いて実践しなければならず、断ると「あんたのために折角言ってあげてるのに。恩知らず。」とネチネチ詰められてずっと不機嫌でいる。
  • 母と意見が異なった時、母は自分に従うことが当然だと考えているので、思春期以降反発すると「我が強い。可愛げが無い。」と何度も言われ無視される。
  • クラスや友人関係について愚痴ると「お母さんが言ってあげる!」とやけにやる気を出して、嫌がっても先生に相談に行ってしまう。
  • 進路など大事な話をしている時に「スーパーで安売りしていて~。」などどうでもいい話を何度もはさんで話の腰を折る。
  • もしかして、私の話がつまらないのかなと本で会話術を学んで実践した時期もありましたが、結局姉の話しか興味がありませんでした。今思うと当時の私は健気ですね。
    良く考えたら友達に話がつまらないと言われたことはないし、私に関心が無いだけです。興味が無い人の話は聞いていられないんでしょうね。

結果、自分がどのような状態になったか

簡潔に言うと、人に心を開けず、信頼関係を築けない、自己肯定感が低い、いるのかいないのか分からない人間になりました。
詳細は以下の通りです。

いつも他人の顔色をうかがう

その時の機嫌でヒステリックに責める母だったので、顔色をうかがうくせがつきました。また、いつも笑顔でいるのも対人関係におけるくせでした。

友人に「駅のホームで真顔で居て、誰か一瞬気付かなかった。」とか、「すごく目をあわせてくるよね。」と言われました。
母には従うことしか求められていなかったのでその延長で誰かに頼まれごとをされると断れず、社会人時代はいつもいっぱいいっぱいでした。なんでも言うことを聞く人って便利だけど大切にされないなと思います。

自分の意見を言うのが苦痛。自己主張できない。

母に自分の意見を言う、相談する、悩みを話す=面倒くさそうに対応されてちゃんと聞いてもらえず傷つくことだったので、友人はいても傷つくのを恐れて本心を話すことはあまりありませんでした。
中学生の頃「私が悩みを話しても、ポチちゃんは相談してくれないよね。」とぶすっと言われたことがあり、当時はへらへらして流しましたが、この問いにもっと真剣に向き合っていたらなぁとたまに思い出します。
自分の考えを持つことは母から嫌がられることだったので、いつもこの状況やこの人にはなんて返すのが正解かというのを念頭に受け答えをしていました。自分の気持ちはありません。
例えば、何かプレゼントをされた時、どんな反応が相手は嬉しいのかという事ばかり考えるので、実際の自分が何を感じているかと思いめぐらすことはありません。
今もすぐに素直な反応をするのは難しくて、夫やSNSで練習しています。

自己肯定感が低い

家族が喜ぶように進んで姉の話をする、姉に色々と譲ることを繰り返す中で自身の存在価値が見出せなくなりました。本心では私にも注目してほしいと思っていましたが、学生時代私の誕生日でさえ姉の話題ばかりだったときは泣きました。
自分がいるだけでいいという実感が無かったので、存在価値が無いと思っていました。
変な話、仕事中に会社に不審者が来て暴れたりしたら私が真っ先に行こうと真面目に思っていました。ほかの人は皆私より価値があるし、命の壁としてそれで役に立って消えるならそれも良いなという感覚でした。今はとてもそうは思えません!

メイクやおしゃれをしても母から「もっと~すればいいのに。」とか、美容系の物を母からプレゼントされる際は「お姉ちゃんは可愛い。あんたもせめてこれ位したら。」と言われていたので、「自分は容姿が優れていない。世間様に迷惑をかけない程度に身支度をしよう。」と考えて最低限のことしかしていませんでした。今思うと少しセルフネグレクトが入っていたのかなと思います。
過去を振り返れば、少ないながらも友人や当時の彼氏に容姿を褒めてもらえる機会もあったんですが、社交辞令だと思って全く受け入れてなかったんですよね。
若い頃自分に興味を持てなかったのはもったいなかったなと思います。
今は自分に合うメイクやファッションを試したり、自分なりにおしゃれを楽しんでいます😊🌸

将来を考えられない 

上記のような性格になると、自分軸で生きていないので毎日あまり楽しくなかったです。
せめて最期は誰にも迷惑をかけずに後始末が出来るようにきちんとお金を稼ごう、位しか仕事や生きるモチベーションが無かったです。
改めて振り返ると、すごい卑屈だったかも。笑

現在 母娘関係の今後の更新予定について


振り返ってみたら、言葉ではいつも心配しているとか、あなた達姉妹は宝物とか耳障りのいいことを言ってくれるんですが、態度は前述の通りなので、言葉に期待して態度に裏切られるのを繰り返していたなと思いました。もしかしたら、それは言葉に出して自己暗示をしようという母なりの努力だったのかもしれませんが、一貫性が無い態度にいつも不安やストレスを感じていました。

ここまで自身のちょっと嫌な記憶をばーっと書き出しましたが、楽しかった記憶ももちろんありますし、育ててもらった感謝もあります。
両方あるからこそ、今までずっとモヤモヤしていました。

そのモヤモヤは、夫と出会ったことで少しずつ晴れてきています。
独身時代幸せな結婚というイメージは全然湧かなかったのに、よくこんな穏やかな家庭を持てたなと思います。
夫の両親はとても穏やかで子供の話をよく聞き尊重してくれる理想の両親像で、夫やご両親との会話の中でハッと気づかされたり、救いになる言葉をかけられたこともありました。
今後はそちらをメインで書いていこうと思います。

長い話を最後までお付き合いいただいて、どうもありがとうございます😊💗

それでは👋

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